いつかは死ぬという事実がありながら、必死に頑張っていると、人生に意味はあるのかと考えたりします。
私も苦しい時にそのようなことを考え、悩んだりしましが、仏陀の本を呼び、少しずつ心が軽やかになっていきました。
人生は苦しいですが、苦しみを軽くしていくことは可能です。
この記事で、少しでも心が軽やかになり、参考になれば、幸いです。
生きているのは苦
私たちは人間はどこかに『素晴らしい人生』があると思って、それを求めて生きています。
お金や時間があって、仕事や趣味が充実していて、健康で、愛する人や家族がいて、幸せな日々を過ごすような素晴らしい人生を思い描いています。
しかし、人生は『苦』であることが基本です。
そんなはずはないと思うかもしれませんが、それが真理です。
例えば、美味しい料理を食べて、幸せな気持ちになっても、それを食べ続けていると、食べれなくなって、苦しくなります。
家を手に入れても、購入した瞬間から古くなっていき、メンテナンスも必要になり、火事、災害や盗難などの心配も出てきて、備えなくていけなくなり、苦しくなります。
そして、名声やお金や欲しいもの全てを手に入れても、いつかは死を迎え、手放さないといけません。
コインの裏表の関係のように、一瞬、楽になっても、その後には苦しみが伴うのです。
『私』とは
『私』で苦しむ
私たち人間はいつか全てを手ばさないといけないことを知りつつ、その事実を見ないかのように、『私』の存在価値を高めることに躍起になっています。
地位や名声を得たり、『私』を着飾り、「『私』はこういう人間だ。」、「『私』には価値がある存在だ。」と意味付けをするのです。
しかし、この意味づけは他人との比較を生み、『こうあるべき。」、「こうありたい。」という思いが生まれ、その反対に「これはいけない。」、「こうなってはいけない。」という苦しみを生んでいるのです。
つまり、何が正しくて、何が間違っているのかという善悪を勝手に決めつけて、悩み、苦しんでいるのです。
『私のモノ』は存在しない
私たち人間は『私』に意味付けをするために、「私の財産」、「私の家族」、「私の体」など、たくさんのモノに『私』という言葉をつけますが、それが執着を生み、憎しみ、恨みや妬みとなり、苦しみとなっていますが、そもそもこの世に『私』のモノは存在しません。
例えば、「私の財産」と思っていても、価値が下がったり、失う恐怖が出てきたり、いつかは手放さないといけません。
「私の子供」と思っていても、自分の思い通りにはならず、いつか自分の元を去っていきます。
「私の体」と思っていても、どんなに気をつけていても病気になりますし、だんだんと老いていきます。
つまり、『私』という個が所有しているという妄想を抱いているだけで、全てのモノは変化していく存在にも関わらず、それに執着し、苦しんでいるのです。
『私』も存在しない
人間は頭の中に思考が生まれていますが、その考えを止めてみようと思っても、止めることはできません。
ダイエットでお菓子を食べないと決断しても、いつの間にか手を伸ばして、お菓子を食べている。
また『私』が選択していると思っているモノも、脳が今までの経験、記憶や周りの環境などからより良いモノを選んでいるのに過ぎないのです。
これらの行動を見た時に、『私』というモノは存在しないということが実感できます。
生かされている存在
私たち人間はついつい自分の力で生きていると考えがちですが、自然の関係によって、生かされている
私たちは他の命を奪い、地球に負荷をかけて、生きています。
世の中のあらゆるモノは、全てがお互いに影響を与え合って存在し、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。
『私』という存在も個として存在するものではなく、自然の互いの関係のなかで”生かされている”存在なのです。
今を生きる
過去や将来ばかりに目を向けるばかりに、今、この瞬間を蔑ろにしています。
現在が理想通りいっていなければ、過去への後悔が生まれ、現在に不足感があれば、理想のために身を挺して頑張ったり、現在を否定し、未来に不安を感じたりしているのです。
過去の若かったこと、楽しかったことはもう過ぎ去ったことで、脳に記憶が残っているだけで、再び同じことを再現することはできません。
将来も未だに現れていないことで、頭が勝手に想像し、不安になったり、舞い上がったりしているだけです。
過去も未来も妄想なのです。
今に目を向ければ、やることはシンプルで、ただそれを黙々とやるだけです。
買い物に行くのも、足を動かしているだけだし、パソコンをするのも、画面を見て、指を動かしているだけです。
そこに難しさも失敗もありません。
山の頂上ばかりを見て、不安がるのではなく、足元を見て、一歩、一歩、踏み出せば良いのです。
もし、頭に過去や未来のことや不安が頭をよぎり、心が奪われそうになったら、「これは妄想だ。」と唱えて、今というシンプルなことに目を向けてあげるのです。
人生は苦しいから、気楽に生きれば良い
苦しい人生の中、私たち人間はたくさんの理想を求めるがゆえに、余計に苦しんでいるのです。
最終は死を迎え、全てをいつかは手放さないといけないのに、その現実を見ないようにしています。
自分の求めるものは最小限にして、今の幸せやたくさんの人や生命に支えられて、生きていることを実感できれば、最小限の苦しみで生きいくことができ、そんな世界に恩返しもできる余裕も生まれてくるはずです。
『命の道』を生きる
自然農の師 川口由一さんは『我が道』、『人の道』、『命の道』の3つの道があるとおっしゃいました。
『我が道』は自分のやりたいこと、『人の道』は自分のやりたいことが、人の役に立つかどうか、『命の道』は人の役に立つ上で、それは自然界に沿い、他の生命のために役立っているかどうかです。
私たち人間は生かされた存在に過ぎず、自分勝手な欲望を大きくすれば、それは大きな苦しみとなって返ってきます。
この3つが揃った時に、大きな調和の一つになり、『私』の殻からも抜け出し、歩み出せるのかもしれません。